ANA国内線【PR】

考えるきっかけとして

作ってくださった方々の努力がしのばれます。ご苦労様でした、そしてありがとうご
ざいました。
最初に広告を目にした時、色合いからちょっと読みにくい感じがしました。今回の広
告が、9条があまり身近に感じられない人たちの間や、家庭で子どもと話すきっかけ
になればいいですね。たとえば、「こんな風に子どもに言うお母さんいる?」「人は
情報や世論で変わっていくものなのかな?」「私だったら、子供にこう言うかも」
「自衛隊って、あったほうがいいの無いほうがいいの」等々、白黒はっきりではない
形で、矛盾を抱えたところで考えが深まるといいと思います。
ストーリーの中でひとつ個人的に気になったのは、多くの日本人が犠牲にならなけれ
ば、日本人の心は動かないのか、ということです。イラクでは、日本人は5人亡くな
り、今でも毎日100人くらい殺され続けています。カウントされず何十万という命
が消えて行くことに、日本が関わっているという加害性からは、「憲法9条がもって
いるこの精神の未来性」への”気づき”は出てこないものなのでしょうか。そこも話
せていく契機になることを願っています。

     森井雅子

# by 89peace | 2007-10-08 12:46 | 意見広告

臭さをおそれずに

独りよがりの独善は共感が得られないから、そういう市民運動なら広がらない、と山本さんは警告されたのだと思います。それを「臭い」と表現されたわけですが、私はその人間臭さをむしろ好ましく思う者です。もっとも山本さんも「平和とは、それらが充満するリアルな世界」と結んでいらっしゃるから、臭いを肯定的に も捉えていらっしゃるのですよね。
独りよがりでは共感共鳴されないのはわかりますが、思いの丈が強いほどそれをきっちりスマートに伝えるのってむずかしく、四苦八苦悪戦苦闘するからプンプン臭い立つのです。
市民運動は正義の運動、市民運動家は正義漢、と自認している人もそうでない人も、人の営みは一様に臭い。それが無くなったら生き物ではありません。つまり私は臭さを恐れずに、悪びれずに、自分はこうありたいと思うことをやって行きたいです。
他人に迷惑をかけまいと努力しながら。

それから一つ山本さんに質問なのですが、牧師と言う肩書きをはずした個人の意見だ、ということについてです。
たとえば首相の肩書き、社長の肩書きをはずした私人として、、、というのはわかるのですが、「牧師」ははずせる肩書きなのでしょうか? 牧師=山本さんそのものと思っておりました。(私はクリスチャンではありませんので理解がまちがっているのかもしれません。) だから私には山本さん個人であっても山本牧師さ んであっても、おんなじことのように思えるのですが、、、、。いかがでしょうか?


吉井ちづ子  (こちらではみなさん本名なのですね。)

# by 89peace | 2007-10-08 12:41 | 意見広告

弁明

山本さんからの「弁明」が今朝、寄せられましたので。
そのまま掲載します。

+++++
ブログは見ていなかったのですが、知人から「君の意見が
載っているよ」と言われ、えっ?と思って見てみました。
やりとりの記録は削除してしまい確かめようがないのですが、
僕としては、あのような形で載るとは思っていませんでした。
春木さんたちのなさったことに、まず「お疲れ様でした、感謝します」
といった謝辞を述べたはずです。そして「何か意見を言ってください」
という求めに対して、短い文章を返信しました。
てっきり、皆さんの意見と併置されて、何かの紙面に載るものだと
思っておりました。僕の勘違い、と言えばそうかもしれませんが、
少しばかり迷惑しています。ですから、この文章をブログに追加掲載して、
皆さんに対する、僕からの弁明としてくださいますように。
それから、僕は個人として書いたのであって、牧師という肩書きは
やめてください。個人として、というのは、明野の処分場反対運動に
14年間かかわって来てしまった、いわば市民運動の同志として、
自戒を込めつつ、意見広告の会の運動を肯定するつもりで書きました。
念のため、僕の書いた短文を改めて読みました。充分に推敲した文章で、
訂正したい箇所はありません。願わくば、その謂いをきちんと読み取って
いただけますように。
以上、山本からの弁明です。

# by 89peace | 2007-10-05 08:10 | 意見広告

感想 (3)

今回の意見広告はちょっと深いなぁ〜と感じました。
限られた紙面、限られた文字数という高いハードルを
果敢に飛んで見せた・・・そいう印象です。

お作りになった方の苦労に思いを馳せます。

とてもとても短い、私の足のように短い・・・超短編。
その中に凝縮された平和への歩み。そして・・人間模様。

「行間を読む」という言葉があります。

この超短編は、読み手の「行間読解力」を試してもいるのです。

この超短編から放たれる「香気」を平和へのたゆまざる希求心
と嗅ぎとるか否か。

それは、その人の嗅覚による。

            こんのともはる

# by 89peace | 2007-10-03 02:54 | 意見広告

感想 (2)  山本さんへの反論

当然山本さんの意見に反論が飛んできました。
これまた、呼びかけ人でもある久松さんからです。

+++++++
山本さん

山本さん、僕は、「くさい」という生理的表現は、あまり好き
ではありませんが、いかにも牧師さんくさいご意見、拝読しま
した。この世に正しい者はいないというのは、真理でしょうが、こ
れには自分も含まれるでしょうから、外なるものを裁断するこ
とはできなくなるはずの典型的な自己言及文で、人に説教する
文ではなく自問すべき事柄。禅だったら、立派な『公案』にな
るでしょう。誰も正しい者はいない、と語る主体の『正しさ』
を保障するのは誰ですか。
「教会」ですか。権力は、なにも国家権力
ばかりではありません。国家権力は、その基は、教会権力から
派生したもの、西洋の場合ですけど。市民運動の名誉にかけて
ぼくは言いますが、市民運動を「くさい」といわれるならば、
牧師もまたかなり「くさい」存在であることをお忘れなく。ひ
とつだけ市民運動は、何の組織も権威もなく無力感と闘いなが
ら、参加者が身銭を切って自由意志で行われるという点で、教
会よりは「くさく」ないでしょう。僕は、「教会」という存在
と敵対しようとも思っていませんし、また宗教的感情を大いに
肯定していますが、まだ黎明期にある市民運動を「くさい」と
いって簡単に切り捨ててしまわれるのを読み、とても残念に思
い、意見を述べました。
                                  久松重光




# by 89peace | 2007-10-02 01:33 | 意見広告

< 前のページ 次のページ >